2009年4月6日月曜日

 作者:崋山宏光へメールする!



 暗闇の中で幼い兄妹のふたりが道先案内人を失って窮していた。北国の夏の宵は妙に夜風がざわめき冷ゃっこい(ひゃっこい!:北海道の言葉でつめてぇ~!の意味)。なまぬるい風の方が恐怖シーンを盛り上げる謳い文句だがその時の私にはひゃっこい風でも十二分に恐怖心を煽り盛り上げてくれた。立ち止まっていられない。時がたてばそれだけ悪霊たちが蔓延する世界になってゆくことなど十分理解できる年齢であった。急がねばと気持ちがはやる。はやる気持ちに逆らって体が後ずさりするのを覚える。妹の顔を覗いた。妹は案外と平気そうな顔であった。つぶらな瞳で兄を見つめる笑顔の可愛い妹だ。そんな妹を見ていて兄である私は心ならず思った。
 「こいつ、馬鹿な分怖さ知らずなんだろうな?」ありえん。まかり間違えてもそんな風に考える兄など赦せん。そうじゃないだろ?おまえを頼りにしているから心配ないと安心しているんだぞ!と何処かで誰かが私を叱っている。その声が私には父の声に似て聞こえた。そうだよな~、と思い直してちらりと妹を見た。一瞬の裏切り感が妹の顔をまともに見ることをさせなかった。いやいや正直まともに見れなかったといい直す。私はその頃はそこまで"ヒキヨゥ"monoではなかったはずだと思っている。多分自分で思っていただけだったのかもといまさらながら猛省しなくもない。

 夜風が背中を押す。早く前え進めとあざ笑うように私の耳元で風の戦ぎが聞こえた。風の声に促されて。足が地を摺り前方の大地をまさぐる。怯えて繰り出すつま先をジャリ石が重く遮った。妹の手を握った指に自然と力がこもる。妹が突然「痛いっ~!」と言って手を振り解こうとする。妹の手は今の私には唯一頼みの綱であった。私は今頼みの綱の妹の手が切れてしまうと泣き出してしまうかも知れなかった。緊張感がクライマックスに近づいて私を失意の谷底へ突き落とそうとする。「あ~おかあさ~ん!」と叫びそうであった。でも私は我慢した。私が叫べば妹が泣き出すことは目に見えて理解できた。私は持ち合わせの無い勇気を振り絞って耐えた。堪えたが体は正直で膝が笑って震えていた。震える足で二歩三歩進んだ。闇を掻い潜る幼い兄妹の道行きは予想を超えて困難を引き寄せた。まるで荒波に漕ぎ出すいかだ舟だ。今にも波に打ち砕かれて砕け散ってしまいそうなほど激しく揺れる。闇が風が荒波のようにふたりを包み地獄へ引きずり込もうとしている。震える足が道に敷き詰められた深い砂利石に不覚を取って躓きツンのめった。(注:ツンのめっる=体が前方へ倒れてゆくこと。)

 大きなジャリ石を踏んで足首を捻ってその瞬間に扱けそうに体が前にのめる。心図らずもが妹を頼っていた分倒れた体が妹の方へ傾いていた。妹の体の支えを受けて倒れようとする私の体がが止まった。妹によりかかった分だけジャリ道に転倒せずにすんだのだ。転んでしまうと尖ったジャリの切っ先が手に突き刺さる。私は国道がアスファルト舗装になるまでにこのジャリ石で転倒して手や膝を負傷して泣いた苦い経験が頻繁にあった。ややもすると尖った石は骨まで達する大怪我になる。皮を破って肉を削ぎ大出血の大惨事になって両親(特に母親)に要らぬ心配ばかり掛けていた。突き刺さった1センチ近い大きさの石が膝からぬけないこともあったし掌蹄に深く突き刺さることなど何度も多くあった。この轍が深く刻まれて歩きにくいジャリ石の国道は昼間でもとても嫌な道であった。そんな重大危機をまたもや妹に救われてしまった。妹は両手でしっかりと倒れかけた私を押さえて危機を回避してくれた。ジャリ石に倒れるのを防いでくれた妹は更に「おにいちゃん、大丈夫?」と私を気遣ったくれる。優しい妹だった。今でも多分私には優しくしてくれるだろうと思う。そんな優しさ溢れる可愛い妹のことをつい先ほど心の中で馬鹿呼ばわりしたことを悔やんだ。小さな体から立ち上る思わぬ勇気を垣間見て妹に劣ってしまったことに気づいた。哀しかった、アイゴーッ!(何処の国の言葉か分らないが・・・。)と叫びたい思いだった。まるで仁王大王の鉄槌に打たれたように私の胸は痛んだ。妹の健気さに拠り所を見失なってしまった私はこれじゃいかん!と気を取り直して妹の手を引いて力強く歩き始めた。やっと少しだけ兄らしさを保てたようであった。でもそれはやはり私の本心からの行動ではなくて無理をして着飾った虚飾の姿でしかなくって躓いて倒れかけた際の偶然の産物でしかなかった。幼い私はそのことを十分過ぎるほど自分自身で知っていてそれがかえって妹に対する後ろめたさとなった。でも何故か三歩四歩と歩数が増えるたびに虚飾の勇気が遠のき真実の力強さが湧き上がってくる様うな気持ちがした。

 虚飾の衣を纏った途端に微妙にその虚飾が効果を成して虚飾から真実の鎧に変わってゆくように思えてきた。心に巣くっていた怖気が薄らぎ今までしっかりと前を見据えようとしなかったうつろな私の目が闇に負けずに堂々と光を放ち始めていた。私はその未完成な鎧の威を借って図らずも「もう少しでお家に着くからがんばろうね!」と妹を励ました。妹からしてみると「おまえががんばれよっ!」と思っていたかもしれない。今はなんだか恥ずかしくて確かめようも無い。それはその時は半分以上自分自身への励ましだったのかもしれないが、やっとの思いでそこまで到達して心が少し成長したことは僅かながらも事実であり真実ではなかったとかた今検証している。そうだきっとそうなのだと考えてみた。そうしないと話が前進しなくなりそうな予感?がもち上がりそうなのだ。
 漆黒の闇の中の幼い子供のふたりだけでの帰宅は当然それ自体が"未知との遭遇"なわけで十メートル間隔でハプニングga
襲ってきた。
でも既に半分の恐怖が去って嵐の大波が収まりつつあるのを私は一人勝手に感じていた。余裕が出てきたのが自分ではっきり認識できた。私は妹にしっかりと目を向けて笑顔を作ることができるようになっていた。心が落ち着きを取り戻すと暗い夜道がよく見え出す。草や木立の梢の影さえ闇夜に透けてくっきりと見え出した。少しずつ周囲の状況を捉えることができるようになって夏の夜の生き物のざわめきを感知する耳目が滑らかに素早く情報回路の機能を働かせ始めた。北国の夏の夜が意外と賑わっていることに気づき始めていた。天を見上げるとそこはさらなる別世界が煌めいていてその美しさがさらに恐怖の大海から私達を救出してくれたかのように思った。北国の澄み渡る夜空はプラネタリュウムより眩い宇宙が見える。その眩さは筆舌に尽くし難い。家路の方角に天を仰ぐとへび座とさそり座が煌めいて更には真上に蛇つかい座もあるのに気づいた。幼い割りによく知っている。当然これを書きながら調べてみたのだが・・・。煌めく星座は美しいがその名前がいま一?な気がする。その想いが恐怖の第二章のプロローグにつながる事をその時の私は気づいていなかった。でも少し美しすぎる星空に何かを感じ始めてはいたのだった。

2009年3月29日日曜日

第3話「世間の妖風」

 作者:崋山宏光へメールする!

(この稿は下段の続編です。上下していますが下段(第1話、第2話)をまだの方は先に第1話、第2話の部分から読むと更に"面白い"ことを知るでしょう。) 
 地獄はなかなか去ってくれなかった。というより不自然な姿態で時をやり過ごすことがこんなにも過酷なことだとは思いもよらなかった。
 以前映画のシーンで時代劇のかっこいい忍者が天井裏に身を潜め長い時間身じろぐことなく敵が現れるのを待ち続けて命令を達成して敵を討つなどと言うことなどを思い浮かべながら少しヒーローチックになったりしていたが想像以上に辛いことであるのを実感した。隣でそんな兄を頼りに身を屈して耳を塞ぐ妹の辛さはきっと私のそれを遥かに凌駕していただろうと思うと今素直に詫びる。そんな状態で見つめあう兄と妹はいつのまにか自然と笑顔の応酬になっていて遂には妹が堪らずに大声で笑い出す。周囲の銀幕の恐怖のクライマックスシーンに固唾を呑む観客の全てが冷たい視線を私達に集中しているのを感じて私はあせっった。私は依然耳を塞いで腰を折った状態のままで妹に目配せで注意を促した。そしてため息と共に映画が早く終わってほしいとせつに願った。
 その後どれくらいの時を刻んでいたのか今ははっきりと分らないが幼い兄妹にとっては永遠に続くような錯覚を覚えるほどの長い時間が続いて過ぎた。遅々として終わらぬ恐怖にじれったく思ったがじれながらも耐え忍ぶ技をその時に少しは習得できたかもしれない。やっと映画が終了した時の開放感は格別であった。
 終映した館内に明かりが点る。さして明るくはない昼光色の明かりが周囲の現実の色彩を映した時に私は「耳無し芳一」の修羅地獄を脱して苦行をひとつ越えた思いがした。深く息を吸い大きく吐いた。ただ館内はほの暗くて特にトイレのある出口の方に人だかりがかたまっていてざわめきながら蠢く様はまだ映画の残像がそこいらに残っているように感じさせた。トイレに行きたいと想っているのに我慢した。恐怖の残尿感の排出の方が最優先であった。
私はすぐに妹の手を握って館外へおどりでた。外へ出るまでの間に映画館に来るときに引率してくれた近所のお兄さんとお姉さんのカップルのすがたを捜した。捜しながらもトイレにも行きたくなっていた。せわしなくキョロキョロと周囲を見渡し引率者を捜す。館外へでた。全ての人が吐き出されてくる出入り口は夏の夜にひと時の賑わいがあった。星が輝く空を見つめるように上を見上げて人の顔を探る。いない。目当ての引率のカップルが見当たらなかった。ヤバイッ!今風だと「やばーっ!」だ。今にしてみるとその引率者はカップルで途中退場していたのかも?と大人の事情を想いあったている。その頃の私は年端もいかなくそんな大人の込み入った事情に思い当たる糸口さえ持たなかった。だから恐怖心に萎縮した私の頭脳はさらにパニクッていた。おしっこが漏れそうなのがそのパニックに押し込められて暫し解決していた。
 兎に角誰か他の引率者を見つけなければ夏の夜で凍える心配はないものの恐怖映画の帰路の暗闇の中を延々と1.5キロメートルも幼い妹の手を引いて家路を辿る勇気は私にはない。青ざめながら懸命に他の引率者を物色した。そんな時に天の神様は心なしか私にほんの少しだけ味方してくれる。それが真実味方なのか敵なのかは結果次第なのだが?そのときは微笑みに見えるものだ。いた。映画館の明かりを抜け出て暗闇に差し掛かるあたりに見覚えのあるふたつの後姿。私は妹の手を引いてその人たちに声をかけながら息せき切って走った。「おじさん、おばさ~ん!」声もそぞろに息せき切って追いすがる四つの小さな瞳からは今にも大粒の泪が零れ落ちそうだった。いや妹の泪は確認してはいないが兎も角私は充分に涙目であった。そのせつない呼びかけに心を留めて振り向いてくれた。やった!。「天は我に与した」と喜んだ。この人たちの帰り道は我が家と同じ方角だ。嬉しさがこみ上げた。「助かった・・・。」と思った。正直この時の安堵感は今でも鮮明に蘇える。妹の目を見ると妹も喜んでいるのが分って二重に嬉しかった。この人たち付いて行けば途中まで安心だ。これで大船に乗った。そう思い込んで確信的に安心感を妹と二人共有した。・・・つもりだった。そう途中までは安心ではあったのだが。あまりの嬉しさに途中までという大事なことに考えが行き着く暇が無かったのが今でも少し悔しくって苦い思い出だ。この二人は結婚したての夫婦で奥さんの方がたまに我が家の母とお茶など飲んで世間話に講じていたりしていた。だから私達兄妹をよく知っていた。「あら~、ひろちゃんとゆうこちゃん? どうしたの?お母さんは・・・?」と私達に尋ねた。顛末をかいつまんで言うとおじさんもおばさんも少し驚いて、少し感心してくれた。
 おじさんもおばさんも幼い子供だけの映画鑑賞にすこし呆れたようであった。そして私の母をよく知っているおばさんが「美代子さんならありえるわね。」とおじさんに言っていた。
 とりあえずこの二人の後ろについて歩けば3分の2の道のりは安心だった。だが私はその時一方的に家まで全ての道のりの安心感を得た気持ちでいた。新婚の熱々夫婦が私達を従えて家路についた。恐怖映画の影響か新婚生活の夜の営みへの期待かは知ることもなかったが心なしか私には二人の歩幅が広く急いている気がした。思わず私は最愛の妹の手を力を込めて握っていた。手は汗ばんで濡れた。汗で濡れる手が快くないのか途中妹が握った手を振り解こうとする。私は汗を自分の服で拭って再び妹の手を引いた。妹はまた手を握るのを嫌がった。どうやら歩き疲れたようであった。私は妹の顔を見入って心配になっておばさんに声をかけてみた。おばさんは私の呼びかけに後ろを振り向いてくれた。「どうした?疲れたの・・・?」と気遣ってくれる。私は自分も疲れていたが妹のせいにして「裕(ゆう)が・・・。」と答えた。「そっかぁ~、もう少しだからがんばろうね。」とおばさんは言ってくれた。優しい気遣いの声であった。だがその時の私達には無常に響くお岩さん(合掌!)の皿を数える恨み声に似て聞こえた。頑張りたくはなくて休みたいのだった。でも言葉が咽喉から出てこなかった。私はこんなときほど執拗に気弱だ。そんな気持ちを知ってか知らずか新婚夫婦は楽しげに家路を急ぐ。新婚夫婦は会話が弾んでいた。私達は忘れ去られている不安を振り払いすがりつくよううに懸命に後を追った。幼子の足には歩くというよりも駆けている早さである。私は再び三度妹の手を引いてふたつの浮き立つ影を追った。
 ほどなく新婚夫婦の家路との岐路に差し掛かった。「じやあ、気をつけて帰るんだよ!」と物憂げもなくおばさんが手を振る。私は愕然となった。子供心に事の顛末からして当然我が家までそのおばさん達夫婦が送ってくれるものとしか考えてなかった。というか当時の世相の背景からして幼子をふたり暗闇に放り捨てる大人がいるとは認識できていなかった。戦慄が脳裏を駆け巡る。「ヒェ~ッ!」と叫びたいほどであった。泣くに泣けない。思えばかのおばさんは近年大都会から越してきたばかりの箱入りお嬢さんだった。田舎の夜道の恐怖が田舎の子供達にとってどんなに巨大な怪物であるか知る由もなかったのだった。気楽に手を振って闇に溶ける頼みの綱に落胆した。「おいおい、マジッスッカ!」の連発の宵闇であった。ここから先は今来た道より遥かに険しかった。道のりは確かに3分の一しかなかったがただでさえ少ない電柱にぶら下がる街灯の明かりがここから先はゼロであった。真暗っ闇が待ち構える。我が家までの距離5百メートルを一体どうやって辿ればいいのか戸惑った。眼前の苦難に立ち向かう勇気が奮い立つ前に闇にそびえる巨大な妖魔に押しつぶされそうだった。
 真っ暗闇の砂利敷きの轍の道。訝しい夜風が幼子の背後から恐怖を覆い被せてくる。ましてこの先は4百メートルの間人家が無く蠢く気配は得体が知れなかった。道の右側には広大なキャベツ畑が広がる。キャベツの塊が闇に透けてまるで人の頭のようにならんで道行く人をせせら笑っている如くみえる。その奥は松の防風林が夜風に煽られ梢がきしいで妖艶なざわめきをあげている。道の左側には人が轢死した過去を持つと誰かが言っていたおぞましい記憶を呼び覚ます鉄道線路が長い真っ直ぐな葬列的な影を延々と横たえて延びていた。その線路の向こう側は変幻自在な妖獣の住処だ。雑木林が深淵な闇に奇怪な唸り声を響かせる。線路の手前には灌漑の用水路がチョロチョロとせせらぎ熾烈な水音を奏でる。さらに執拗にも蛙の不気味な大合唱のおまけつきだ。これ以上にない恐怖物語の舞台装置は完璧なほど揃った。
 いまや最悪なシュチュエーションが二人の行くてを阻む。この壁を乗り越えるためには騒然な激戦の地へ乗り込む強い志とあらゆる敵を掃討する強大な力、さらには何者にも怖れを抱かぬ強い勇気が必要だった。でも悲しいかな幼い私には・・・。いや今でも同んなじなのだが私にはそんなものの欠片も持ち合わせがなかった。まさしく無力で貧弱で心細くあった。あるのはいらぬものばかりだ。決断も選択もいらなかった。時は待たない。闇に怖気づいていても夜が更け入るばかりである。妹を引く手がだんだんと妹を頼って妹を手繰り寄せている。この闇を越えるには妹の存在に力を借りるしかない。いやいや妹の無邪気さに委ねてついて行く以外の術しか残っていなかった。

つづく。
乞うご期待!

2009年3月22日日曜日

 作者:崋山宏光へメールする!

(この稿は下段の続編です。上下していますが下段をまだの方は下の部分から読むと更に"をかしさ"を知るでしょう。) 

期待の本映画の上演が始まった。今日は夏の盛りの定番で意に反して"ろくろ首"、"四谷怪談!「番町皿屋敷」"であっる。子供心に「ありえねー!?」と心の中で絶句したことを鮮明に記憶している。私は自慢じゃないが怖いものがでぇーきらい!で6歳を過ぎてもなお小はまだ大事無かったが大の場合は親が側にいないと恐怖心が先立ちいきむ余裕さえなく泣きながら便所を逃走して皆に笑いを受けた。そんな私と私の可愛い妹の楽しいはずのナイトシアターが突如地獄を描写し幼い兄妹に喰らい衝いてきた。どうしようもなく銀幕を両眼たっぷりと全開させたまま心が音を立て崩れ落ち全壊した。寝たふりも大音響で迫る恐怖のサウンド効果が余計に臨場感を募らせ無駄であった。ましてや想像力の豊富な私にとって目蓋を閉じた自己世界の地獄図のほうが映画の映像を凌いで私を恐怖へと煽る。いたたまれず空間の闇を見やるとまたそこに別の魑魅魍魎が蠢き押し寄せる。感窮まって泣きたくなるが周囲の空気が押しとどめた。見たくない怪談を見るとは無く見つめ続ける。耐え忍ぶ心根が少し鍛えられていたかも知れない。"お岩さん(合掌!)"が皿を数える頃には遂に堪らず妹が「兄ちゃん。怖いから帰ろう!」といって私の袖を引く。怖いのは分っている、そして言われなくても兄ちゃんは帰りたいんだよ。でも怖いから帰れないんだ!外の暗闇を幼い妹の手を引いて二人だけで帰路の1.5キロメートルを歩く勇気など無かった。当然上映が終了して他のお客の皆と同じように映画館を出るしか私には選択の道が無かった。私は妹が大好きであった。だがこの期に及んで我侭を迫る妹は"ろくろ首”が私に襲い掛かるように見えた。ああ、この世は終わった。もうだめだ。と耳を両手で塞いで膝に伏した。あっ、と明るい展望が開けた。耳を塞ぐと音が遮られ恐怖が和らぐ。こんな簡単な解決策が残っていようとは思いもよらなかった。私は袖を引く妹に耳を塞いで伏したままの姿勢で顔だけ向けて「裕もこうしてごらん!」目を輝かせていった。妹は座り直して私を真似た。そしてゆっくりと顔だけ私の方に向けて白い歯を見せて微笑んでくれた。私はそんな妹の笑顔にとても安堵した。私も満面の笑みで妹に微笑を返した。私たちは終幕までその格好を保持して地獄が去るのを待った。

つづく・・・

2009年2月6日金曜日

 作者:崋山宏光へメールする!




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幼き日の記憶

 五十五歳を過ぎても尚独り暮らしで寂しさが募ってくると胸の奥から母親の面影が蘇ってくる。  人間とは他愛無い者であるとしみじみ実感する。人の情けや人肌の温もりを求めて人恋しくて耐えがたい。こんな時は何と為しに私の脳裏に小野田寛郎元大日本帝国陸軍少尉横井庄一元大日本帝国陸軍伍長〈横井庄一記念館〉があらわれる。戦後何十年もの長い歳月を南洋の果てのジャングルの中で一人、将に孤軍奮闘をしていて私にとっては伝説的な人たちである。私であったならせいぜい数ヶ月で発狂していただろうと考えるとこのお二方はを尊敬せずにいられない。
 其のおふた方が私が孤独の静寂と虚無の底無しの沼にはまって喘いでいると何処からとも為しに出現して笑顔で励まし手を差し伸べて私の心の闇の深淵から救い出してくれる。なんとも頼もしく有りがたいおふた方である。小野田さんも横田さんも戦後75年を経ても尚、こんな風に人助けをしているなんてことをよもや夢想だにしなかったであろう。してみれば人の行いとは何時いかなるときに思いもよらぬ影響力を持つものであるのかが我身に当てはめて知ることができた。
さて貧言であるが人の孤独感とは実に不思議なものである。ひとりいて何かに没頭していて急に言われなくふっと誰かに見つめられているよな感覚が背筋を走り体の上部から血の気がスゥーと引いてゆくのを感じて何とは為しに周囲を見回し確認したりしている自分に気づく。たとえ目を凝らして覗った所で何処にも何も見ることはないのだが、それを判っていても相しないと気持ちが落ち着かない、そんな自分が少し滑稽に見えたりするが恐怖感が湧き上がってくると滑稽を通り越し無様な自分に情けなさを感じたりしている。
 無様と言えば私には幼き頃恐怖の体験があった。まさに滑稽で無様な体験であるが其の体験者本人としては笑えない過去である。
 私は北国北海道の山村で自然に育まれて成長した。そこはあの高名な作家・三浦綾子女史の作品・「塩狩峠」の舞台であった峠に似た峠と鉄道線路のある街で山間部の木材の加工工場が数箇所あってまた材木、原木搬出の拠点駅のある場所として当時は賑わいを極めた街であった。 

 そんな田舎町でまだ幼稚園生であった私は2歳下の妹の裕子を伴って映画館へ映画を観に行った。小学入学前の児童は無料だったので最初の頃は両親と出かけたりしていたが次第に幼い私たちだけで観に行くようになった。とは言っても上映の終了時間は夜で当時の街の様相はどの街でも相であった様に町外れには街頭がなくて夜道は暗く危険であったから私たちは我家の近在の人達に同伴して行ったりして頻繁に映画鑑賞していた。
 私の家から映画館までは1.5キロメートル程の距離があってその距離を国道を歩いて行った。国道は整備されたりもしていたが未舗装であったためたまに通過する自動車の往来のたびに砂塵を巻き上げ私たちは其の土埃の洗礼を浴びつつ映画鑑賞に繰り出さなければならなかった。たまに道路の表面に砂利を敷き詰め凸凹を均していた程度の道でまた砂利の敷設後は特に子供の小さな足には歩行がしづらい状態になっていたり砂利が車の往来で少しづつ道の両端に弾かれて轍ができると其の轍の上を歩くと歩きやすくて善かったのだがそれはそれで其の轍の中にまだ残っている砂利を踏んで足を挫いたりなども頻繁であったからあの砂利道は子供の私たちにとって難苦の道であった。しかしその困難を乗り越えても手に入れたい興味がめくるめく銀幕の中にあって私はあまり気の乗らない妹を無理やり連れ立って常連と化していた。
 街には2件の映画館があったが私はいつも自分の家に近い方へ入った。といっても一方の映画館にはかなり後まで一度も行ったことはなかったので最初から選択枝はなかったのだが。映画館は売店などもなくお決まりのポップコーンなどありはしなかったが私はいつも上映の始まりを告げるジリジリーンと響くベルの音に胸躍らせていた。スクリーンに映像が描写されるまでの真っ暗な闇の中で期待は頂点を向かえシーンと静まりかえった館内にスクリーンの対角の上方にある映写室からフィルムの巻き上げる音がかすかに流れ始めたと思うや否やほとんど同時に映写室から銀幕の舞台スクリーンに向かって光の帯が広がる。空中に乱舞する塵や芥が其の光の帯の中で夜空の星のように浮き上がって煌きの輝きが映画館内の空間に創出する。さながら宇宙とはこんなもんかなと幼い私にさえ理解できそうなくらいに鮮明に繰り広がる館内の擬似宇宙の創造を為す頭上の光の帯に見入った。たびたびスクリーンに映写機の放射レンズの角度がうまく合っていない時などもあって調整に戸惑ったりフイルムが巻き取り側のリールにちゃんとセットされていなくてフイルムがはずれて銀幕には横長四角の光の反射だけだったりとかトラブルが多くあったりで子供ながらにどうしたのかななどと気を揉んだりもしていたものだ。他の大人たちの中には背後の頭上を振り返って罵声を飛ばす者などもあった。そこは体力勝負の[やまご]達の集う街。威勢のよさも格別なものがあった。取り合えずトラブルは別にして始まりはいつもワクワクであった
 映画の上映開始は必ず時事ニュースから始まった。スピーカーから流れる女性や男性のナレーターの声が皆そろって今思えば何故かロボットを連想させるような少しキィーの高い声で「政府は○月○日、日本の経済政策が・・・・。」とか子供には全く意味の解らない内容であったがそこに映し出される映像の全てに新鮮な価値観が在って目を釘付けにした。特に大都会の風景は子供心にも別天地の相様を写実していて山村に馴染んだ目には同じ国であると思えないところがあった。その分興味は尽きず目を見開いて白黒のフィルムの傷が飛び交う画面の一部始終を見逃すまいと真剣に見入ったものであった。かたや妹はNEWSなどはまったく興味外のことで手を離すと席を立って館内を闊歩し大人たちに話しかけ顰蹙をかってしまったりなども数度在ったりして以来手を握って座席に拘束していなければならなくなっていたりした。一度映画のクライマックスシーンの真っ只中に舞台の袖のステップから舞台上に繰りだして映写の光源を指差しながら何かを叫んでいて近所のおじさんにお叱りを受けたこともあった。其の時の妹の顔や体に映像が描写されてクロースアップ状態の妹を見た私はつい『マッジスカァ?』とつぶやいていたと今にして思う。    


          上段につづく
           ありがとうがざいました。