2009年3月29日日曜日

第3話「世間の妖風」

 作者:崋山宏光へメールする!

(この稿は下段の続編です。上下していますが下段(第1話、第2話)をまだの方は先に第1話、第2話の部分から読むと更に"面白い"ことを知るでしょう。) 
 地獄はなかなか去ってくれなかった。というより不自然な姿態で時をやり過ごすことがこんなにも過酷なことだとは思いもよらなかった。
 以前映画のシーンで時代劇のかっこいい忍者が天井裏に身を潜め長い時間身じろぐことなく敵が現れるのを待ち続けて命令を達成して敵を討つなどと言うことなどを思い浮かべながら少しヒーローチックになったりしていたが想像以上に辛いことであるのを実感した。隣でそんな兄を頼りに身を屈して耳を塞ぐ妹の辛さはきっと私のそれを遥かに凌駕していただろうと思うと今素直に詫びる。そんな状態で見つめあう兄と妹はいつのまにか自然と笑顔の応酬になっていて遂には妹が堪らずに大声で笑い出す。周囲の銀幕の恐怖のクライマックスシーンに固唾を呑む観客の全てが冷たい視線を私達に集中しているのを感じて私はあせっった。私は依然耳を塞いで腰を折った状態のままで妹に目配せで注意を促した。そしてため息と共に映画が早く終わってほしいとせつに願った。
 その後どれくらいの時を刻んでいたのか今ははっきりと分らないが幼い兄妹にとっては永遠に続くような錯覚を覚えるほどの長い時間が続いて過ぎた。遅々として終わらぬ恐怖にじれったく思ったがじれながらも耐え忍ぶ技をその時に少しは習得できたかもしれない。やっと映画が終了した時の開放感は格別であった。
 終映した館内に明かりが点る。さして明るくはない昼光色の明かりが周囲の現実の色彩を映した時に私は「耳無し芳一」の修羅地獄を脱して苦行をひとつ越えた思いがした。深く息を吸い大きく吐いた。ただ館内はほの暗くて特にトイレのある出口の方に人だかりがかたまっていてざわめきながら蠢く様はまだ映画の残像がそこいらに残っているように感じさせた。トイレに行きたいと想っているのに我慢した。恐怖の残尿感の排出の方が最優先であった。
私はすぐに妹の手を握って館外へおどりでた。外へ出るまでの間に映画館に来るときに引率してくれた近所のお兄さんとお姉さんのカップルのすがたを捜した。捜しながらもトイレにも行きたくなっていた。せわしなくキョロキョロと周囲を見渡し引率者を捜す。館外へでた。全ての人が吐き出されてくる出入り口は夏の夜にひと時の賑わいがあった。星が輝く空を見つめるように上を見上げて人の顔を探る。いない。目当ての引率のカップルが見当たらなかった。ヤバイッ!今風だと「やばーっ!」だ。今にしてみるとその引率者はカップルで途中退場していたのかも?と大人の事情を想いあったている。その頃の私は年端もいかなくそんな大人の込み入った事情に思い当たる糸口さえ持たなかった。だから恐怖心に萎縮した私の頭脳はさらにパニクッていた。おしっこが漏れそうなのがそのパニックに押し込められて暫し解決していた。
 兎に角誰か他の引率者を見つけなければ夏の夜で凍える心配はないものの恐怖映画の帰路の暗闇の中を延々と1.5キロメートルも幼い妹の手を引いて家路を辿る勇気は私にはない。青ざめながら懸命に他の引率者を物色した。そんな時に天の神様は心なしか私にほんの少しだけ味方してくれる。それが真実味方なのか敵なのかは結果次第なのだが?そのときは微笑みに見えるものだ。いた。映画館の明かりを抜け出て暗闇に差し掛かるあたりに見覚えのあるふたつの後姿。私は妹の手を引いてその人たちに声をかけながら息せき切って走った。「おじさん、おばさ~ん!」声もそぞろに息せき切って追いすがる四つの小さな瞳からは今にも大粒の泪が零れ落ちそうだった。いや妹の泪は確認してはいないが兎も角私は充分に涙目であった。そのせつない呼びかけに心を留めて振り向いてくれた。やった!。「天は我に与した」と喜んだ。この人たちの帰り道は我が家と同じ方角だ。嬉しさがこみ上げた。「助かった・・・。」と思った。正直この時の安堵感は今でも鮮明に蘇える。妹の目を見ると妹も喜んでいるのが分って二重に嬉しかった。この人たち付いて行けば途中まで安心だ。これで大船に乗った。そう思い込んで確信的に安心感を妹と二人共有した。・・・つもりだった。そう途中までは安心ではあったのだが。あまりの嬉しさに途中までという大事なことに考えが行き着く暇が無かったのが今でも少し悔しくって苦い思い出だ。この二人は結婚したての夫婦で奥さんの方がたまに我が家の母とお茶など飲んで世間話に講じていたりしていた。だから私達兄妹をよく知っていた。「あら~、ひろちゃんとゆうこちゃん? どうしたの?お母さんは・・・?」と私達に尋ねた。顛末をかいつまんで言うとおじさんもおばさんも少し驚いて、少し感心してくれた。
 おじさんもおばさんも幼い子供だけの映画鑑賞にすこし呆れたようであった。そして私の母をよく知っているおばさんが「美代子さんならありえるわね。」とおじさんに言っていた。
 とりあえずこの二人の後ろについて歩けば3分の2の道のりは安心だった。だが私はその時一方的に家まで全ての道のりの安心感を得た気持ちでいた。新婚の熱々夫婦が私達を従えて家路についた。恐怖映画の影響か新婚生活の夜の営みへの期待かは知ることもなかったが心なしか私には二人の歩幅が広く急いている気がした。思わず私は最愛の妹の手を力を込めて握っていた。手は汗ばんで濡れた。汗で濡れる手が快くないのか途中妹が握った手を振り解こうとする。私は汗を自分の服で拭って再び妹の手を引いた。妹はまた手を握るのを嫌がった。どうやら歩き疲れたようであった。私は妹の顔を見入って心配になっておばさんに声をかけてみた。おばさんは私の呼びかけに後ろを振り向いてくれた。「どうした?疲れたの・・・?」と気遣ってくれる。私は自分も疲れていたが妹のせいにして「裕(ゆう)が・・・。」と答えた。「そっかぁ~、もう少しだからがんばろうね。」とおばさんは言ってくれた。優しい気遣いの声であった。だがその時の私達には無常に響くお岩さん(合掌!)の皿を数える恨み声に似て聞こえた。頑張りたくはなくて休みたいのだった。でも言葉が咽喉から出てこなかった。私はこんなときほど執拗に気弱だ。そんな気持ちを知ってか知らずか新婚夫婦は楽しげに家路を急ぐ。新婚夫婦は会話が弾んでいた。私達は忘れ去られている不安を振り払いすがりつくよううに懸命に後を追った。幼子の足には歩くというよりも駆けている早さである。私は再び三度妹の手を引いてふたつの浮き立つ影を追った。
 ほどなく新婚夫婦の家路との岐路に差し掛かった。「じやあ、気をつけて帰るんだよ!」と物憂げもなくおばさんが手を振る。私は愕然となった。子供心に事の顛末からして当然我が家までそのおばさん達夫婦が送ってくれるものとしか考えてなかった。というか当時の世相の背景からして幼子をふたり暗闇に放り捨てる大人がいるとは認識できていなかった。戦慄が脳裏を駆け巡る。「ヒェ~ッ!」と叫びたいほどであった。泣くに泣けない。思えばかのおばさんは近年大都会から越してきたばかりの箱入りお嬢さんだった。田舎の夜道の恐怖が田舎の子供達にとってどんなに巨大な怪物であるか知る由もなかったのだった。気楽に手を振って闇に溶ける頼みの綱に落胆した。「おいおい、マジッスッカ!」の連発の宵闇であった。ここから先は今来た道より遥かに険しかった。道のりは確かに3分の一しかなかったがただでさえ少ない電柱にぶら下がる街灯の明かりがここから先はゼロであった。真暗っ闇が待ち構える。我が家までの距離5百メートルを一体どうやって辿ればいいのか戸惑った。眼前の苦難に立ち向かう勇気が奮い立つ前に闇にそびえる巨大な妖魔に押しつぶされそうだった。
 真っ暗闇の砂利敷きの轍の道。訝しい夜風が幼子の背後から恐怖を覆い被せてくる。ましてこの先は4百メートルの間人家が無く蠢く気配は得体が知れなかった。道の右側には広大なキャベツ畑が広がる。キャベツの塊が闇に透けてまるで人の頭のようにならんで道行く人をせせら笑っている如くみえる。その奥は松の防風林が夜風に煽られ梢がきしいで妖艶なざわめきをあげている。道の左側には人が轢死した過去を持つと誰かが言っていたおぞましい記憶を呼び覚ます鉄道線路が長い真っ直ぐな葬列的な影を延々と横たえて延びていた。その線路の向こう側は変幻自在な妖獣の住処だ。雑木林が深淵な闇に奇怪な唸り声を響かせる。線路の手前には灌漑の用水路がチョロチョロとせせらぎ熾烈な水音を奏でる。さらに執拗にも蛙の不気味な大合唱のおまけつきだ。これ以上にない恐怖物語の舞台装置は完璧なほど揃った。
 いまや最悪なシュチュエーションが二人の行くてを阻む。この壁を乗り越えるためには騒然な激戦の地へ乗り込む強い志とあらゆる敵を掃討する強大な力、さらには何者にも怖れを抱かぬ強い勇気が必要だった。でも悲しいかな幼い私には・・・。いや今でも同んなじなのだが私にはそんなものの欠片も持ち合わせがなかった。まさしく無力で貧弱で心細くあった。あるのはいらぬものばかりだ。決断も選択もいらなかった。時は待たない。闇に怖気づいていても夜が更け入るばかりである。妹を引く手がだんだんと妹を頼って妹を手繰り寄せている。この闇を越えるには妹の存在に力を借りるしかない。いやいや妹の無邪気さに委ねてついて行く以外の術しか残っていなかった。

つづく。
乞うご期待!

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