2009年2月6日金曜日

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幼き日の記憶

 五十五歳を過ぎても尚独り暮らしで寂しさが募ってくると胸の奥から母親の面影が蘇ってくる。  人間とは他愛無い者であるとしみじみ実感する。人の情けや人肌の温もりを求めて人恋しくて耐えがたい。こんな時は何と為しに私の脳裏に小野田寛郎元大日本帝国陸軍少尉横井庄一元大日本帝国陸軍伍長〈横井庄一記念館〉があらわれる。戦後何十年もの長い歳月を南洋の果てのジャングルの中で一人、将に孤軍奮闘をしていて私にとっては伝説的な人たちである。私であったならせいぜい数ヶ月で発狂していただろうと考えるとこのお二方はを尊敬せずにいられない。
 其のおふた方が私が孤独の静寂と虚無の底無しの沼にはまって喘いでいると何処からとも為しに出現して笑顔で励まし手を差し伸べて私の心の闇の深淵から救い出してくれる。なんとも頼もしく有りがたいおふた方である。小野田さんも横田さんも戦後75年を経ても尚、こんな風に人助けをしているなんてことをよもや夢想だにしなかったであろう。してみれば人の行いとは何時いかなるときに思いもよらぬ影響力を持つものであるのかが我身に当てはめて知ることができた。
さて貧言であるが人の孤独感とは実に不思議なものである。ひとりいて何かに没頭していて急に言われなくふっと誰かに見つめられているよな感覚が背筋を走り体の上部から血の気がスゥーと引いてゆくのを感じて何とは為しに周囲を見回し確認したりしている自分に気づく。たとえ目を凝らして覗った所で何処にも何も見ることはないのだが、それを判っていても相しないと気持ちが落ち着かない、そんな自分が少し滑稽に見えたりするが恐怖感が湧き上がってくると滑稽を通り越し無様な自分に情けなさを感じたりしている。
 無様と言えば私には幼き頃恐怖の体験があった。まさに滑稽で無様な体験であるが其の体験者本人としては笑えない過去である。
 私は北国北海道の山村で自然に育まれて成長した。そこはあの高名な作家・三浦綾子女史の作品・「塩狩峠」の舞台であった峠に似た峠と鉄道線路のある街で山間部の木材の加工工場が数箇所あってまた材木、原木搬出の拠点駅のある場所として当時は賑わいを極めた街であった。 

 そんな田舎町でまだ幼稚園生であった私は2歳下の妹の裕子を伴って映画館へ映画を観に行った。小学入学前の児童は無料だったので最初の頃は両親と出かけたりしていたが次第に幼い私たちだけで観に行くようになった。とは言っても上映の終了時間は夜で当時の街の様相はどの街でも相であった様に町外れには街頭がなくて夜道は暗く危険であったから私たちは我家の近在の人達に同伴して行ったりして頻繁に映画鑑賞していた。
 私の家から映画館までは1.5キロメートル程の距離があってその距離を国道を歩いて行った。国道は整備されたりもしていたが未舗装であったためたまに通過する自動車の往来のたびに砂塵を巻き上げ私たちは其の土埃の洗礼を浴びつつ映画鑑賞に繰り出さなければならなかった。たまに道路の表面に砂利を敷き詰め凸凹を均していた程度の道でまた砂利の敷設後は特に子供の小さな足には歩行がしづらい状態になっていたり砂利が車の往来で少しづつ道の両端に弾かれて轍ができると其の轍の上を歩くと歩きやすくて善かったのだがそれはそれで其の轍の中にまだ残っている砂利を踏んで足を挫いたりなども頻繁であったからあの砂利道は子供の私たちにとって難苦の道であった。しかしその困難を乗り越えても手に入れたい興味がめくるめく銀幕の中にあって私はあまり気の乗らない妹を無理やり連れ立って常連と化していた。
 街には2件の映画館があったが私はいつも自分の家に近い方へ入った。といっても一方の映画館にはかなり後まで一度も行ったことはなかったので最初から選択枝はなかったのだが。映画館は売店などもなくお決まりのポップコーンなどありはしなかったが私はいつも上映の始まりを告げるジリジリーンと響くベルの音に胸躍らせていた。スクリーンに映像が描写されるまでの真っ暗な闇の中で期待は頂点を向かえシーンと静まりかえった館内にスクリーンの対角の上方にある映写室からフィルムの巻き上げる音がかすかに流れ始めたと思うや否やほとんど同時に映写室から銀幕の舞台スクリーンに向かって光の帯が広がる。空中に乱舞する塵や芥が其の光の帯の中で夜空の星のように浮き上がって煌きの輝きが映画館内の空間に創出する。さながら宇宙とはこんなもんかなと幼い私にさえ理解できそうなくらいに鮮明に繰り広がる館内の擬似宇宙の創造を為す頭上の光の帯に見入った。たびたびスクリーンに映写機の放射レンズの角度がうまく合っていない時などもあって調整に戸惑ったりフイルムが巻き取り側のリールにちゃんとセットされていなくてフイルムがはずれて銀幕には横長四角の光の反射だけだったりとかトラブルが多くあったりで子供ながらにどうしたのかななどと気を揉んだりもしていたものだ。他の大人たちの中には背後の頭上を振り返って罵声を飛ばす者などもあった。そこは体力勝負の[やまご]達の集う街。威勢のよさも格別なものがあった。取り合えずトラブルは別にして始まりはいつもワクワクであった
 映画の上映開始は必ず時事ニュースから始まった。スピーカーから流れる女性や男性のナレーターの声が皆そろって今思えば何故かロボットを連想させるような少しキィーの高い声で「政府は○月○日、日本の経済政策が・・・・。」とか子供には全く意味の解らない内容であったがそこに映し出される映像の全てに新鮮な価値観が在って目を釘付けにした。特に大都会の風景は子供心にも別天地の相様を写実していて山村に馴染んだ目には同じ国であると思えないところがあった。その分興味は尽きず目を見開いて白黒のフィルムの傷が飛び交う画面の一部始終を見逃すまいと真剣に見入ったものであった。かたや妹はNEWSなどはまったく興味外のことで手を離すと席を立って館内を闊歩し大人たちに話しかけ顰蹙をかってしまったりなども数度在ったりして以来手を握って座席に拘束していなければならなくなっていたりした。一度映画のクライマックスシーンの真っ只中に舞台の袖のステップから舞台上に繰りだして映写の光源を指差しながら何かを叫んでいて近所のおじさんにお叱りを受けたこともあった。其の時の妹の顔や体に映像が描写されてクロースアップ状態の妹を見た私はつい『マッジスカァ?』とつぶやいていたと今にして思う。    


          上段につづく
           ありがとうがざいました。

1 件のコメント:

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